またガッちゃんの思い出話を書きます。
1年に1回の更新なので細かいことは忘れちゃってるけど

前回のブログはこちら

ガッちゃんのこと<続編②>
ガッちゃんは障害でしか使えません。
年を取って障害が厳しくなったら馬場の馬としての道がありますが、彼の体は先生達お墨付きの「棒」。
「棒」とは、別に馬術用語でも何でもなく、先生達が勝手に言い始めた「体が棒のようにまっすぐで硬い」という比喩です

正確には「口も」ですが・・・
部班だとしても「噛む」「蹴る」の癖があるので難しいだろうし、馬の扱いに慣れていない初心者班や速歩部班はなおさら危険です。
場所が変われば馬も変わることもありますが、悪癖のある馬をどこの施設が喜んで引き取ってくれるでしょうか?
彼の行く末は目に見えていました。
私はガッちゃんを自馬にすることを決めました。
A乗馬学校は家から近いし、レッスンも有意義に過ごせていたので非常に残念でしたが、またN乗馬倶楽部へ戻ることにしました。
ガッちゃんを持ちたいと相談すると、先生は快く応じてくれましたが「もっと他にいい馬が・・・」とも言われました。
(後で聞いた話ですが、いつか私が蹴られて大怪我をするか、最悪死ぬんじゃないかと思ったそうです

でも私はガッちゃん一筋でしたので
「いいんです!ガッちゃんだから持ちたいんです!」と。
ガッちゃんの入厩は6歳、6年間会有馬として過ごしていて12歳になっていました。
実際、障害を飛ばなくなったのかどうか、私は見てないのでホントのところはよくわかりません。
普段乗ってる会員さん達が言うのだから一番信憑性があると思いますが。
先生は否定も肯定もせず、ただ「うちでは会有馬の任期は6年なので」ということしか言いませんでした。
でも、ガッちゃんのそばにずーっといられると思うとすごく嬉しかったので、障害飛ぼうが飛ぶまいがさほど気にしてませんでした。
私なりに考えた計画もあったし・・・
これからは何かあったら全て私の責任です。
人間に大怪我を負わせたり、まして死に至らしめた動物は殺処分です。
他の人を守ることはガッちゃんをも守ること!
絶対みんな守るぞーー!

馬装、手入れ、レッスンにおいて最大限の注意は怠りませんでした。
とは言っても、今まで通りと言えば今まで通りなのですがね・・・
馬装は他の会員さんより少し早く厩舎から出して一番左端(蹴り足は右)をゲット!
手入れは一番左端に入れるのはまず無理でしたので、ガッちゃんの右後肢近くにある水道を使いにきた人とか、前を通る人とかには
「この馬危ないからあまり近づかないでね」
と、常に常に常に、いつもいつもいつも言っていました

が、それにもかかわらず、すぐ横の繋ぎ場でしゃがんでバケツに水汲んだりタオルをゆすいでる人には、ガッちゃんの右後肢の所にさりげなく立ち、世間話をするふりをして盾になってました。
運動に関しては、
「多分疲れてきていて飛びたくないだけじゃないのかな~?」
と思ったので、2ヶ月ぐらい放牧だけしていました。
6年間後肢の蹄鉄なしで障害飛んできたのです。
裸の蹄で砂を蹴っていたのです。
競技会にも常に出ていろいろな人に乗られて・・・
中障害にも出ていました・・・
疲れて当たり前です。
放牧後はしばらく自由飛越をさせて、ある日乗って障害に向けたら普通に飛んでくれました。
これからは乗るのは私だけ!運動量グ~ンと減るから大丈夫だね!

扱いに関しては、シカト作戦を決行!
無視です!
馬装や手入れの時、「噛みついちゃうぞ!」と顔を向けてきても、「蹴っちゃうぞ!」と脚を上げるしぐさをしても、怒るでもなだめるでもなく、何の反応もせず知らんぷりしました。
一言も声を発しませんでした。
一に無視、二に無視、三四がなくて五に無視!

そして、自分の作業をモクモクとやってました。
知らんぷりすると「この人どうして怒らないんだろう?」って思うのか、不思議そうな顔をします。
1ヶ月か2ヶ月かどのくらい経ったか覚えていませんが、そのうち何もしなくなりました。
おそらく「この人は安全な人でボクに危害は絶対くわえない」とわかったからだと思います。
安全とわかったら威嚇や攻撃の必要ありませんからね。
そして、シカト作戦は終了!
それからは今まで黙っていた分たくさんたくさん話しかけました。
本当はいけないのだけど、指で馬の鼻をゴニョゴニョ触って遊んだりもできるようになりました。
私は嬉しくていつも鼻で遊んでいました。
以前だったらもう指ないでしょうね

抱きついても首にぶらさがっても何もしなくなりました。
私だけでなく、私以外の人にも少しずつ優しくなりました。
隣の繋ぎ場に入ってきた馬にも敵意を示すこともなくなりました。
それどころか相手の馬の鼻先に自分の鼻先をくっつけたりも!
前を通る人を威嚇することもなくなりました。
ただ、声の大きい人が怖いみたいで、そういう人が繋ぎ馬に来て私と話をしたりすると、耳が伏せられ、ドラエモン状態になりましたが

蹴り癖もほとんどなくなってきた頃、先生が「そろそろ後ろ足の蹄鉄つけようか?」と言ってくれました。
先生もガッちゃんが普通の馬に変わったことを認めてくれて嬉しかったです。
あの時ドヤ顔すればよかったな~って後悔してます

ほんの1㎝ぐらいの高さですがやっぱり違和感があるのか、蹄鉄をつけた当日放牧したら、横になって自分の後ろの蹄を不思議そうにマジマジと見たり臭いを嗅いだりしていました。
その光景を見て私は涙が出そうになりました。
悪癖がなくなってくると、顔の表情も変わってきて優しい顔立ちになってきました。
以前はみんなに
「ガッちゃんは目がいつも三角!」と言われていたのに・・・
「ガッちゃんは喜怒哀楽があるんだよ~」と、オジサンの馬仲間に言ったら
「ガッちゃんは喜怒怒怒でしょ~」と、ガハハ~と笑われていたのに・・・
「怒」なんて様相は探しても見当たらなくなりました。
新しい会員さんが入会して、以前のガッちゃんを知らない彼女達は
「ガッちゃんっておとなしくてかわいいね~」
な~んて言うんです。
みんなの目にはそんな風に映っているんだ~と私もびっくり!
昔のことを話すとみんな驚いて、
「不良が更生したんだね!〇〇さんは保護司だね!」と

今まで誰も信じられず頑なな心で生きていたガッちゃんが、回りの人間や仲間の馬を信じられるようになって、少しは心穏やかに過ごせるかな~と、本当に嬉しかったです。
それにしても、シカト作戦がこうも成功しようとはあの時は夢にも思わなかったです。

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3月30日はガッちゃんの生前の誕生日なので、また思い出話になります。
直接ガッちゃんの事ではなく私の馬のハプニング話です・・・
でもつながってるので・・・
以前のブログはこちら
ガッちゃんのこと<続編①>
まんじゅう怪我を負わせながらもガッちゃんはそれなりに普通に暮らしていました。
その後、私は引越しすることになり、通うのが遠くなるので今の乗馬倶楽部を退会し、当時世田谷区にあった「A乗馬学校」に変わることにしました。
悲しかったですがガッちゃんとはお別れです。
A乗馬学校は大きな大会にも数多く出場し、歴史も古く名のある乗馬クラブです。
レッスンも非常に厳しかったですが、その分中身も濃く、充実感は半端なかったです。
しばらくして、前の乗馬倶楽部の友達(K)も移ってきたのですが、馬場のレッスン中、指示された運動ができなくて馬歴を聞かれ、本当のことを言ったらまずいかも?と思って半分の年数を言ったら「そんなに乗っているのにどうしてできないんですか?」と・・・
「もっと少なく言えば良かった~」と彼女は後悔してました
出まかせの馬歴は確か「3年」と言ったと・・・
彼女は平日は仕事で土日しか乗れないのに・・・結構厳しいな~
私はそれを聞いて「どうか馬歴聞かれませんように!」といつも思っていました。
競技会も先生から声がかからないと出られません。
私は競技会はあまり出たくない部類なので「ラッキー」と思っていましたが、先生は何を血迷ったのか「次の障害の競技会出ませんか?」と言ってきました。
しか~も馬は、普段のレッスンでも難しい(わりとキレやすく、すぐぶっ飛ぶ)馬に当たりそうな気配!「え~~~絶対嫌だな」と思いながら、よっぽど出る人いないのかな~と、困っている人をみるとほっとけない性格が災いし、仕方なく
「はい・・・わかりました」
場所はクラブ内なので楽でしたが、競技会前日大雨
当日、朝方雨は上がったけど馬場ドロドロ!
馬は予想通りの前述の苦手な馬!「こんなとこで絶対落ちたくないよ~」
1頭の馬に4人乗り、私はその1番目でした。
馬も馬なので「絶対人柱だね」と友達(Y)が笑いながら言いました
待機馬場で先生の下乗り後、私に乗り替わる時「馬に気づかれないようにすばやくそっと乗ってくださいっ!」
「馬気づくでしょ・・・普通・・・」
最初から気づかれていたのか乗り方で気づいたのか、想定通り段々ペースが上がってきました!
5個目ぐらいの障害を拒否した後完璧にブチ切れドッピューンと・・・
ギャラリーからは女性の悲鳴が!「誰?キャーーーとか言ってんの!馬やってる人じゃないな~見に来た家族かなぁ?」
でもこのスピードで、もし馬が急停止したら私空飛ぶの確実!
馬が急回転したら遠心力で吹っ飛ばされやっぱり空飛ぶの確実!
あの悲鳴もわからなくもない。
その後ベシャッと着地でドロドロだよな~
ドロドロだから痛くはないだろうけど・・・
顔から入ったら悲惨だけど、それ以上に笑われるな~
ゲラゲラ笑いじゃなく憐れみ混じりの苦笑というやつか・・・
髪の毛にも砂入っちゃって、シャンプー大変そうだな~
止まってほしいけど勝手には止まってほしくないな~と、爆走中の何秒かの間に色々と思いながらも「落ちるのここかもぉ?」
と、覚悟を決めたけど、(鞍に寝るぐらい体を反らせて体重を後ろに持っていったような・・・そう、空が見えたような記憶が・・・馬vs私の体重=私の体重の勝利)何とか抑えることができて再び拒否した障害へ!
次は飛んでくれました
というか、「ざけんなよ!」的に・・・
それからは相変わらずペースは超速いけど障害拒否もなく、バーの落下もなく1反で終了。
馬場の2/3ほど爆走したのでタイムオーバーも取られたかも?「あそこでよく抑えられましたね」
と、変なところ褒められ複雑な気分(あったりまえじゃん!泥まみれ嫌だもん!)
まぁあんな状態じゃ騎乗姿勢や飛越姿勢だの、間歩とか馬の踏み込み位置とか指導する範疇じゃないだろうし、「よくぞご無事で」しかないよね~
調馬索廻し足りなかったんじゃないの~?
ったく~
馬も疲れたのか、3番目に乗った人が、丁度いいペースで回ってきて賞状とリボンもらってました!
それを見た友達(Y)が「やっぱり人柱だったね!」とゲラゲラ笑っていた
後で気づいたけど、確かにあの4人の中では私が一番障害歴長い・・・
やっぱりほんとに人柱として声かけられたのかも・・・と思わざるを得なかったデス
でも終わるとあの恐怖も忘れ妙に達成感!「あ~面白かった!出て良かったぁ~」
2回目の競技会は馬事公苑。
お天気もずーっと良く、しかも馬は超優秀な競技馬!
とっきど~きしかレッスンに出て来ない(馬がこわれるから)安心安全なお利口さんです。
なので、笑えるエピソードは残念ながらありません。「馬の上に乗ってるだけでいいですからね~」
「は~~い!」
「何もしなくていいですよ~」
「は~~~い!」
2回目は心穏やかに乗れてとっても楽しかったです。
ただ下馬した後の馬の手入れとかは学生達がやるので渡しておしまい。
お世話になった馬にお礼も兼ねて手入れしたい私としてはそれがちょっと寂しかったです。
「A乗馬学校」は常にお客様として扱ってくれて、とっても気分の良い乗馬クラブでした。
レッスン前の馬装もレッスン後の手入れもインストラクター見習いの人やバイトの学生達がやってくれます。
彼らが都合がつかない時は会員がやりますが、そういう日は少なかったです。
でも私は「ただ乗るだけ」なのはちょっと寂しかったので、手入れができる日はすごく嬉しかったです。
そんなこんなでA乗馬学校で1年が過ぎようとしていた頃、前の乗馬倶楽部の友達から連絡が入りました。
「ガッちゃんが障害飛ばなくなってきちゃって出されるらしいよ」
<つづく>

また折をみて・・・

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「ナイトがお星様になりました」・・・と
とうとう恐れていた日が来てしまいました。
でも、現役のまま旅立てたこと、乗馬倶楽部で慣れ親しんだ人達に見守られて最期を迎えたことはナイトにとっては幸せなことだと思います。
いつもそうですが、本当に「ありがとう」と言うことしかできなくて、それすら伝える術もないけど、魂となった彼らにはきっと私達の心は伝わるんじゃないかと信じています。
「ナイト、君に乗せてもらって楽しかったよ。本当にありがとう」
そしていつも私が動物に言う言葉
「今度は人間に生まれておいでね」
人間もそれなりに大変だけど、少なくとも自分の歩く道は自分で選択できますからね。
でも人間は人間、動物はやっぱり動物になるらしいような話もありますが、まぁよしとしてください

在りし日の『ナイト(Knight)号』

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満開の桜はまだ少し先みたいですね。
先日3月30日は、私が初めて持った馬「ガッちゃん」の生前のお誕生日でした。
そんなもんで、前に<つづく>で終わらせたガッちゃんのことを書くことにしました。
ガッちゃんの会有馬時代です。
ガッちゃんの「噛む」「蹴る」の癖は前からあったのか、うちの乗馬倶楽部でついたのかわかりませんが、先生は「ちょっと威嚇したら○○ちゃんが「キャー!」とか言ったので面白がってやり始めたんだ!」と言ってましたが、本当のところはわかりませ~ん。
でも私達の前で、先生が「○○ちゃん」と名指ししたのにはびっくりしましたけど・・・
ガッちゃんは「キャー!」を面白がるほど根は悪い馬ではないんです。
どちらかと言えば孤独が好きで、一人で静かにしているのが好きな馬だったので、逆に「キャー!」を怖がっていたと思います。
いろいろ調べたらお父さんの「アローエクスプレス」も威嚇の癖はあったようでした。
そんなことばっかり受け継いで!
お父さんの丈夫な脚を受け継げば良かったのにね~
世の中上手くいきませんね。
でももし、人間の行為が彼をそうさせてしまったのなら、人間が償わなければ!

私は噛まれたことはありませんでしたが、他の女性会員Sさんは、一度お腹を噛まれて病院に行ったら、お医者様に「あと少しで内臓でしたよ

それ以来、彼女はガッちゃんのことを「怪獣!」と言っていました

ある男性会員Mさんもやはりお腹を噛まれて、何年も温泉まんじゅうぐらいに肉が盛り上がってました

今でもあるかも・・・
蹴り癖もあり、馬繋場で隣の繋ぎ馬に他の馬が入って来ると蹴ろうともしました。
会員さんが蹴られては一番いけないので、後ろ足は蹄鉄をはずされました。
障害のバーに当たっても馬が脚を怪我をしないように巻くプロテクターも、後ろ脚には装着しなくてもいいことになってました。
後ろ足の手入れは、簡単で時間をかけずに済ませていいと言われてました。
幸い蹴られた人はいませんでしたが、噛み噛み攻撃を被った人は、私の知っている限りでは上記の二人でした。
人間でも短所だけという人はいません。
必ず長所もあります。
悪癖の王者ガッちゃんにもとても良いところがありました。
騎乗中はとても従順で忠実!
頭が常に冷静で、絶対キレない!ということでした。
なんだそれだけ~?と思うでしょうが、馬上の人間にとっては馬の冷静さというのは一番重要かも・・・
馬がキレルと爆走するし、馬上の人間を落とそうと思えば、いとも簡単に馬は実行します。
でもガッちゃんは、張っている状態(飛んだり跳ねたりしたがる・・・いわば見た目ロディオ状態)でも、ただ走るスピードが速くなるだけで、尻っ跳ねしたり、人に恐怖を与えるようなことは全然ありませんでした。
手綱を右に引っ張られようが左に引っ張られようが、後ろに引っ張られようが上に引っ張られようが、カリカリしてぶっ飛んでしまうなんてことは皆無でした。
困ったような顔はしていましたがね・・・
まぁ手綱操作に関しては、早い話、口が固かった(鈍感)ということですが、本当に真面目で、もくもくと運動してくれるので、お腹を噛まれた人達も「乗るといいよね~」と、それなりに満足していました。
当時の乗馬倶楽部は、今と違いアットホーム的でした。
20年以上も前ですからね~
のんびりしてましたよ~
リーダー的な人やインストラクターが大学の馬術部出身の人が多かったので、なんか馬術部の延長のような感じで、会員でもあまりお客様扱いされず、習うというより「見て覚えろ!」「技を盗め!」みたいな

実際言われたし・・・・
職人に弟子入りしたわけじゃないし・・・レッスン料払ってるんですが・・・と思いましたがね~
そんな感じだったので、ガッちゃんは会員さんに大怪我を負わせながらも倶楽部を出されずにいられたのだと思います。
噛まれた会員さんも大騒ぎしなかったし。
競技会の成績も良かったですしね。
今だったら、治療費や損害賠償金とか払うんだろうな~と思いますね・・・
「訴えてやる!」なんて言われかねませんからね・・・
しかし服の上から触らせてもらった、温泉まんじゅうぐらいの肉の盛り上がりは本当にすごかったです

<つづく>

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やっぱりナイトでしたーー!

手に何も持ってないようだけど、シャッター押した時はもう口の中にニンジン入っちゃったのでした~

とても風が冷たく寒い日で、本当は行きたくなかったのだけど、馬具庫の中に置いてある荷物で名前がないものは処分されるそうなので(期限15日)名前を書きに行ってきました。
馬具庫の中の荷物は自分の馬がいた時のままなのでね・・・
それでもずいぶん整理したのですけどね~
まだ大きな衣装ケースもあるし、3段引き出しのBOXも2つ・・・
自馬を持たない一会員にしては荷物多いから、ちょっと肩見狭いのですがね・・・
私は過去に馬を3頭持ちました。
1頭目は『ガトーネーグル』(愛称:「ガッちゃん」)
「ガッちゃん」は中央競馬で7歳まで在籍してました。
競争馬名は『ヒゼンダイオー』です。
『大王』といえば・・・
なぜかスーパーマリオの『クッパ大王』を思い出してしまうのです

「クッパ大王」




お父さんは、年配の方とか、若い人でもマニアだと知っているかな?『アローエクスプレス』という名馬です。
三冠馬にこそなれませんでしたが、かなりの好成績を収めています。
●『アローエクスプレスWikipedia』
お父さんを自慢してもしかたないのですがね~

『ヒゼンダイオー』の成績は『高尾特別』まででしたが、競馬新聞の記者から見た彼の評価は、
「仕上がりが早くそれほど調教はいらない馬」
「持ち味とするスピードはオープン級のものを持っている」
「復帰の時は注意したい」
とか、とても良く書かれていました。
デビュー当時から脚部不安ということで調教師さんも気を使っていたようで、放牧、休養が割とありました。
これは当時、新橋にあるJRAの資料館へ行って調べたんですね~
自分の馬のルーツ少しでも知りたかったですからね~
今ではネットで即わかります!
●『ヒゼンダイオーの競走成績』
このデータは7戦ですが、実際は11戦しています。
1着もあと2個あります!
1985年7月 札幌未勝利戦 1着 1200←デビュー戦!
〃 8月 函館400万下 1着 1200
〃 8月 函館奥尻特別 7着 1600
〃 11月 東京900万下 4着 1400
もうどうでもいいことですがね・・・
でも競走馬として一生懸命走った『ヒゼンダイオー』の名誉のため、追記したいと思います

やがて7年目の放牧中にもう出られるレースがなくなってしまったみたいで、乗馬になりました。
乗馬になった『ヒゼンダイオー』はうちの乗馬倶楽部の会有馬となり『ガトーネーグル』という名前をつけてもらいました。
当時うちの乗馬倶楽部は馬にお菓子系の名前をつけるのが流行っていたからです。
しかし困ったことに「ガッちゃん」には、いつついたのか、乗馬には絶対あってはならない「噛む」「蹴る」という癖がありました

<つづく>
なんか長くなってしまうのでとりあえず<つづく>にします

また折を見て・・・
今回の先生はTインストラクターで生徒は私一人でした。
なんか~Tイントラとは相性がいいのかなぁ~?
彼のレッスンで、言われるままにやってると、自然な感じでナイトがすごくいい状態になるのです。
「そうです!そうです!」とか言われて、こっちも自信がつくからかなぁ?
私に限らず、きっと他の会員さんもそうだと思いますよ~
みんな、誉められて伸びたいタイプだと思うしね~

そういう意味もあって前回「教えるのが上手かも?」と書いたのですがね。
Tイントラのおかげで「初乗り」を楽しく終え、お友達との会話も




と、そこそこに、次に向かうのは課長のドッグランです。
あ~忙し~

平日の午後2時頃ですが、すごい寒いのにもかかわらず結構人がいましたね~
乗馬倶楽部では寒すぎて会員さんはほとんどいなかったのだけど、ワンコの飼い主はそんなことじぇんじぇん気にしないようです

今日はあまり走らずこんなことばかり・・・
車に乗って出かけるだけでも楽しい(と思う)課長は、それなりに満足してくれたようでした(と思う)
休みの日は昼まで寝てたいなぁ~と思うのだけど、馬に乗り、課長とも遊べると、やっぱり早起きして良かった~と思います。
翌日の朝は大寝坊でバタバタだったのですがね・・・


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